【人生の優先度の話】愛情かお金か?

こんにちは

 

今回は堀江さんではなく
しむしむが起業に至る前の
お話をしていこうかと思います。

 

結論を言うと

「僕は周りを助けられる人になりたかった」
「しむしむがいればビジネスは大丈夫だ」とか
「しむしむがいれば問題は解決した」とか

僕がいれば周りが安心して過ごせるような
信頼もあって、能力もあって、周りから愛される
そんなかっこいい男性になりたい。

そんな価値観を持って生きてます。

 

そんな僕の昔話をしようと思うので
ぜひ、最後まで読んでもらえると嬉しいですね

ぜひ、皆さんの自己紹介とか
どんな価値観を持っているのか?も

メルマガへ返信してもらえると嬉しいです!!

それでは話していきます。

目次

何者かになりたいけど、努力もできないし
才能もないし、目立たない23年間

僕の23年間は一言でいうと

何者かになりたいけど
何者になろうとしているのかもわからないし
何かにむけて努力をしていない

なにをすればいいんだろう?
特別得意なこともないし
周りよりも優れている何かもないし

ただただ平均的な人間でした。

 

むしろ、身長も引くく力も弱いし
コミュ力もなかったし
テストでは平均点に満たないこともあったので
平均以下だったかもしれません。

 

大学受験も全て日本の大学には落ちました。
別に高望みをしていたとかではなくて
シンプルに落ちました笑

もう一度受験したとて
来年受かる自信がありませんでした。

そんなモヤモヤを抱えながらも
親には大学に行けと言われていたので
なんとか頑張るしかないか…

そんな風に思いながらも
スマホをいじっていた時

 

父が若い頃にアメリカに行った〜
みたいな話をしていたのを

ちらっと聞いて、夕食の時に
おい、お前、シンガポールの大学どうだ?
的なことを言われたことが始まりです。

ただシンガポールはお金がかかるのと
頭がいい大学しかなかったので

Googleでみた世界地図上で左上にあった

マレーシアという国に
一旦留学することにしました笑

 

書類関係はめんどくさいし
英語はわからないので父に投げて
渋谷だかにあるマレーシア大使館へいきました

 

VISA発行の手続きと入学のタイミングの関係で
期日があったのですが

めんどくさがりかつ基本は無能なので
最終日までダラダラと伸ばし続けました笑

ただ最終日。
さすがに今日は行かないとダメだ。と言うことで

たしか15時までの受け付けで
渋谷に着いたのが14時45分とかでした。

 

で、遅刻したら、父親に怒られるううう
それはいやだ〜〜〜って感じで
とりあえず今だけは頑張って走ろう!

ただ頭が悪かったので
そんな日に限って新しい靴を履いて
靴擦れを起こしながらも

頑張って走りましたね笑
たしか、5月だったかな。

 

まあ、走ることだけは
それなりに得意だったので
間に合っちゃうんですよね。これが。

 

足が速いだけでモテたのまじで最高だな。

それで留学することができまして
9月ごろからマレーシアにきました。

 

なんか海外に行ったことを言うと
周りから褒められるのですが

全然、すごいことではなくて
ただの背水の陣というか

 

留年するか、留学するかだったら
留学する方が見栄張れるし
なんだかかっこいいし

当時、好きだった女の子にも
格好をつけられるし…

そんなしょ〜〜もない理由です笑

 

そんなマレーシア生活は
頭のいいクラスメイトに助けてもらい

卒論は「お金」の力を使い
5万円で買いました笑

なんかどこかで落としていた単位があったらしく
卒業が少し遅れて
年2回ある卒業式のうちの2つ目

 

同級生の次の卒業タイミングで
僕は卒業したことになっているはずです
(コロナで帰国していたのでわからない)

 

ただただこれまでの人生で思っていたこと
それは、自分は何者かになりたい

周りから尊敬されるような
すごい人になりたいとか

周りから認められたいとか
そんな承認欲求でした。

 

周りがいい成績をとって
あたまいいなー!って言われてるのが
とても羨ましかったし

 

イケメンがキャーキャー言われているのも
本当に羨ましかったし

 

身体が大きい同級生がまだ下手なのに
野球のコーチからチヤホヤされて
試合に出るようになったり

 

それこそ、同級生が部活とかで
いい成績を収めてキラキラしているのも
心の底から羨ましかった。

 

そういえば、書いていて思い出しましたけど
小学生の時、足早くなるために頑張ったな。

そのおかげで渋谷でVISAがとれました。

 

リレーの選手にどうしてもなりたくて
小学5年生で身長が125cmとかで周りよりも
小さいけど家の前の50mを走りまくってました。

 

少年野球の時も
走るのだけ頑張って

5年生、6年生はリレーの選手になれたな。
6年生の時はアンカーになれて、二人抜かして
1位になったんですよね。

 

世界の主人公かと思った笑
それはめちゃくちゃ嬉しかったな。

 

好きだった女の子に
かっこよかったって言われた時は
今でも覚えてるくらい嬉しかったもん笑

 

もう1度の努力は

中学1年生の時に
卓球の大会で優勝するために頑張ったこと

周りが新人戦で結果を出しまくっているのが
とても羨ましくて、頑張ろう!って思って
その時は頑張った

 

頑張ったと言うよりも
毎日楽しくて仕方がなかった

 

結果的に、優勝しました。

が、これ卓球の悪いところだと思って
卓球で優勝しても周りの対応変わらない笑

 

むしろ、なんか周りに馬鹿にされた気がするw

 

そこが直接的な影響ではないんだけど
ゲームにハマり始めて

他に何もしなくなり起業するまで
大きく努力することがなかったですね

 

次は起業に至るまでのお話をします

精神病になってしまった先輩
お金に悩み続ける同級生
家庭環境に苦しむ子ども

マレーシアの大学のルールで
インターンシップをしなければいけなくて
とりあえず、日本の企業で働きました。

 

 

その内容で

 

 

学童保育のバイトをする時にはやっぱりモテます。
足が速いので。

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